ロシアのウクライナ侵攻から考えるフィンランドという小国


今回のロシアのウクライナ侵攻でふと気になった国があります。

ロシアは国境を介する国々のほとんどはロシアの友好国、または抵抗が不可能な弱小国です。

プーチンは自分のすぐ隣の国にアメリカの軍事拠点がつくられることを極端に嫌がっておりアメリカをとにかく遠ざけたい、そのような意思が見られます。

今回のウクライナ侵攻はウクライナにNATOすなわちアメリカの影響が強くなることを恐れたのが理由の一つとしてよく挙げられていますね。

今回の侵攻に対してもう一つ推測されている強力な理由は、ウクライナの天然ガスです。

ウクライナはヨーロッパでも有数の天然ガス産出国です。

それをプーチンはウクライナに自由に輸出してほしくない(そして豊かになって資本主義世界に取り込まれてほしくない)、そしてロシアが管理したいという意図があることです。

こちらの理由もかなり現実に近いでしょう。

 

少し話はそれましたが、とにかくプーチンは自国のまわりにアメリカの軍隊に近寄られるのが何よりも嫌だし、軍事だけでなく、経済も政治もコントロールしておきたいのです。

そして今回、ウクライナはロシアの要求を受け入れなかったためロシアに侵攻されました。

力で圧倒的に負ける大国の隣国にある小国は大変です。

そして今回のウクライナ侵攻によって世界で一番恐れを抱いているのはフィンランドではないかと私は思っているのです。

なぜなら西側諸国の中ではフィンランドが圧倒的に長い国境線をロシアと介しているからです。ウクライナよりもはるかに長い国境線。

 

少し事実関係を確認してみましょう。

どのような国がロシアと隣接しているのでしょうか?

左上から、ノルウェー、フィンランド、エストニア、ラトビア、リトアニア、ポーランド、ベラルーシ、ウクライナ、ジョージア、アゼルバイジャン、カザフスタン、中国、モンゴル、北朝鮮

これらの国とロシアは隣接しています。

 

ヨーロッパを拡大してみましょう。

色がついているところがそれぞれの国のロシアとの国境線です。

ウクライナのすぐ下にはジョージアがあります。

この中でベラルーシはロシアと仲が良く、独裁政権です。が、フィンランド、エストニア、ラトビア、ウクライナは世界大戦からずっとロシアに苦しめられ続けている国々です。

その中で国境線が圧倒的に長いフィンランド。

フィンランドはロシアと国境を接しているがために1939年にソ連と冬戦争、さらに継続戦争とソ連との2度の戦争を余儀なくされ、なんとか独立を勝ち取ったもののものすごい犠牲を払いました。

たった600万の人口のフィンランドとロシアとの力の差は歴然です。

 

冒頭に戻りますが、今回ウクライナに侵攻したロシアを一番ハラハラしながら見守っているのはフィンランドなんじゃないでしょうか。

そんなフィンランドのマリン首相が先日、NATOへの加入を検討しているとし、数週間以内に答えを出すという決意のこもった演説を行いました。

この言葉の奥には、とてつもない決意と現実的な直視が含まれています。

これは第二次世界大戦の敗戦以降、現在までフィンランドがロシアに侵攻されないために払ってきた膨大で賢明な努力を知っている人であれば容易に想像できることでしょう。

大国と偶然にもあれだけ長い国境を接してしまった不運な小国の、不本意さを受け入れてロシアに屈している現実的で賢明な努力はぜひ、島国という地理的にラッキーな場所に住む日本人にもぜひ知ってほしいと思って書いています。

☆☆

 

フィンランドは1800年以前、スウェーデンの支配下にあることが多い国でした。

1809年にフィンランドはロシアに併合されました。しかし併合後もフィンランドは大きな自治権が認められていたため、比較的自由でした。独自の議会や行政府を持っていたし、通貨も独自のもので、ロシア語も強要されていません。

しかし1894年、ニコライ二世が皇帝に即位してから、抑圧的な統治が始まりました。ニコライ二世が任命したフィンランドのトップはのちにフィンランドの民主主義者に暗殺されるほど憎まれていました。

その後まもなく1914年に第一次世界大戦が勃発し、1917年に終戦が近づいて十月革命が起きると、そのタイミングでフィンランドはロシアからの独立宣言をします。

しかしその後、フィンランドに平和は訪れませんでした。

フィンランドで民主主義者(保守派)対社会主義者の内戦が起きたからです。

ドイツ帝国で訓練を受けた保守派(白衛軍)+ドイツ軍対社会主義をめざす赤衛軍+駐留ロシア軍の内戦は白衛軍の勝利。

その後和解が進み、生き残った敗者にも国政参与権が与えられました。

 

最後は丸く収まったこの内戦は、ロシアと共産主義に対するフィンランドの恐怖心を強くするのに十分な出来事でした。

それがソ連に対するその後の徹底的な抵抗につながります。

1920年から30年代はロシアからソ連に衣替えしたお隣の国をフィンランドはどう見ていたのでしょう。スターリンの恐怖政治を息を呑んで見守っていたのではないかと思います。

なぜならフィンランドは自由主義、資本主義、民主主義路線であったのに対し、ソ連は抑圧的で共産主義で独裁国家という正反対の政策がとられていたからです。

いつソ連がフィンランドの国境を悠々とわたり、自国に攻めてきて併合し、自分たちの政治体制を強要するかわからないという恐怖は地理的条件の不運さを嘆くのに十分な理由だったのでは。

その証拠にソ連はフィンランドの国境に近い、人の住んでいない地域に鉄道路線を建設して空軍基地を置いています。フィンランドに侵攻する以外に何の役にも立たない鉄道です。

なのでフィンランドは1930年代、自国の陸軍を強化し、レニングラードと国境を隔てているカレリア地峡を守ろうとします。

このころ、ソ連はドイツを非常に警戒していたため、フィンランドは必死で中立維持に努めていました。しかし過去の歴史が、内戦でドイツ軍と協力したことや1850年にはフランスやイギリスもフィンランドに入ってサンクトペテルブルクを攻撃したことがあったりと、フィンランドはソ連から警戒されていました。

そんな中1939年8月、ヒトラーとスターリンが突然、独ソ不可侵条約(Deutsch-sowjetischer Nichtangriffspakt)に調印したのです。

これにはフィンランドもめちゃくちゃ驚いたに違いありません。

そしてその中身を疑いました。これ何か公表されてない密約があるでしょ?と。ドイツとソ連 で、秘密裏に併合する国や地域の分配を決めたのではないかと。その結果当然フィンランドはソ連の支配下に置かれることをドイツは了承したのではないかと疑います。

これは結果的には正しかった。

同年10月にはソ連は国境線を西側へ移動させておきたいと考えました。そのうちにありそうな力をつけたドイツの攻撃を恐れての事です。

ソ連はバルト三国のリトアニア・ラトビア・エストニアとフィンランドに最後通牒を出します。

三国には領土内にソ連の軍事基地の建設と自由に行き来する権利、そしてフィンランドには2つ。

1つはカレリア地峡の国境線をフィンランド側に動かすこと。

2つめは首都ヘルシンキ近郊にソ連海軍の基地建設を認め、フィンランド湾のいくつかの小さな島をソ連に割譲すること。

フィンランドは少しの犠牲はしょうがないと思っていたけどソ連側の要求をすべては吞めないと思ったので、ソ連と協議を重ね話し合いをつづけました。しかし折り合いがつかず最終的には拒否することにしました。

理由の一つにはあの独ソ不可侵条約の疑惑があったからです。

少しずつ要求を出し、最終的にスターリンはフィンランドを併合しようとしているのではないかと恐れていたから。

また他の理由に、開戦になったときには伝統的な友好国の支援が得られるとも期待していたといいます。

 

そして1939年11月30日、ソ連はフィンランドを攻撃します。

その数日前にフィンランドがソ連の国境沿いの村を攻撃し、ソ連軍兵士が死亡したという理由で。この出来事は後年、フルシチョフが戦争誘発のための自作自演と認めています。

ソ連はすぐに国境地帯の街を占領すると、スターリンは即座に傀儡政権「フィンランド民主共和国」をつくり、フィンランド人の共産主義指導者オットー・クーシネンを首脳陣に据えました。

これでフィンランドはソ連の意図をはっきりと知ります。やはり併合が目的なのだと。

 

フィンランドは負けてボロボロになることを百も承知で、全力で戦うことを決心します。

冬戦争です。

当時、人口1億7千万のソ連に370万のフィンランド。ソ連軍は温存されわずか50万の投入、対するフィンランドは全軍で12万。

彼らの目標は「フィンランドの勝利ではなく、ソ連の勝利を送らせて、できるだけ苦しめて犠牲を最大化すること」でした。

持久戦に持ち込むことでその間に友好国の支援を受けれるのではないかと考えていたのです。

 

結果的にフィンランド軍はソ連に予想以上の打撃を与えます。ありとあらゆる作戦を駆使し、格上の軍隊を次々と壊滅させていきます。

どのような作戦を使ったかは冬戦争について詳しい本に譲るとして、とにかくフィンランドは1940年3月にソ連が講和条件を出すまで、目的通りソ連が戦闘意欲をなくすほどに激しい抵抗を見せたのです。

どれぐらいの抵抗かというと、フィンランド人1人の死者に対し8人のロシア軍が死んでいます。

小国対侵略をしようとしている大国の戦いには世界中の国から同情が集まりましたが、どこの国も自国の利益を優先し、有効な援助はしませんでした。ドイツ、アメリカ、フランス、イギリスなどがフィンランドがあてにしていた国です。

フランスとイギリスに至っては消耗しきったフィンランドに対し、もうすぐ5万人の地上軍を派遣するのでもっと粘るように要請までしています。それを信じたフィンランドはもう一週間戦いますが、結局そんな用意はされておらず、口先だけの嘘に一週間でフィンランド軍数千人の命が犠牲になりました。

結局1940年3月の講和条件でフィンランドはカレリア地峡をすべて失い、他の地域とあわせ、最初より厳しい条件を吞ませられました。

講和条約の後、ソ連はフィンランドの全土には侵攻しませんでした。その結果フィンランドは併合をまぬがれます。

なぜならフィンランドの激しい抵抗がソ連のフィンランド征服の意思を挫いたこと、ドイツからの攻撃にそなえるためにソ連にも余裕がなかったことです。

多大な犠牲を出しながらもフィンランドは最初の条件を拒否したことで、併合を免れたのです。

 

停戦後、ソ連はバルト三国を併合。

ドイツはノルウェー、デンマーク、フランスを破り、フィンランドはドイツしか頼みの国がなくなってしまいました。

フィンランドはソ連かナチスかというろくでもない選択肢の中から、ふたたびたった一国で冬戦争を経験する可能性よりはドイツと同盟を結ぶ方がまだましだと考えました。

1941年、ドイツはついにソ連を攻撃します。

フィンランドもソ連にたいしてふたたび宣戦布告。

今回の戦い(継続戦争と呼ばれる)にフィンランドは全人口の6分の1を動員しました。

現在の日本の人口約1億2千500万であれば約2000万人の陸軍を動員したことになります。

フィンランドはすぐにソ連に奪われたカレリアを取り返しました。

フィンランドはドイツと戦いましたが、「同盟国」ではなく「共戦国」としており、ドイツの指示をすべて実行したわけではありませんでした。

レニングラード包囲戦はきっぱりと拒否し、自国のユダヤ人の引き渡しには応じませんでした。(フィンランド系ではないユダヤ人は少数ながら引き渡した)

カレリアを取り返したところでフィンランドはそれ以上何もしませんでした。

それから3年間はフィンランドに何も起こりませんでした。ソ連はドイツとの戦いで、余力がなかったからです。

そのうちソ連が勝勢になった1944年、ソ連はふたたびフィンランドを攻撃。しかし状況は冬戦争と似ており、ソ連もフィンランド全土征服には犠牲が大きすぎるとみてソ連はやる気がありませんでした。

結果1944年7月のモスクワ休戦協定でソ連はまたもやカレリアその他の領土を奪還。

また、フィンランドの駐在ドイツ軍20万人も追放しました。

その他、戦争犯罪者の追放(国民から指示を得ていた防衛政策の指導者たち)や賠償金の支払い要求(6年で3億ドルの物資)、ソ連とのバーター貿易ものみました。

 

フィンランドは独立を勝ち取った代わりに冬戦争と継続戦争を合わせて10万人を失い、戦争の負債も抱えることになりました。

☆☆

 

つづく