パラドックスとジレンマ
知っているけど理解しているようでしていない単語っていっぱいありますよね。今日はそんな中からパラドックスとジレンマについて気になったので考えてみます。
似ているようで似ていない(・・という感じがするがはっきりと説明できない)私この2つの言葉今までちゃんと使えていません。果たしてこの2単語は同じような意味なのか?または言い換えて使えるのか?という疑問。
☆第一段階☆
・パラドックスとは
ギリシャ語のpara(反、超)+doxa(意見、通念)から来ている。=「逆説」。
意味:一般に正しいと考えられている事柄に反する主張や事態をいう。
学術的には、正しそうに見える前提と、妥当に見える推論から受け入れがたい結論が得られること。
・ジレンマとは
こちらもギリシャ語に由来した言葉。di(2つ)+lemma(課題、問題)。
意味:二つの問題に直面すること。
もう少し詳しく言うと二者択一の状況でどちらに転んでもデメリットがあり、決めかねる状態のこと。
・・・意味は同じじゃないですね。
☆第二段階☆
ではたとえば「食のパラドックス」と「食のジレンマ」とはそれぞれどういう意味になるんだろう?自分なりに解釈してみます。ちなみに「食」を例に選択したのは時代と研究によってしょっちゅう覆されているから。
・「食のパラドックス」とはかつて身体の健康を害するとされ、なるべく食べるべきでないといわれていた食べ物、または健康に良いとされていた食べ物が、研究によって現在は逆になっているということ。
その典型的な例はバターとマーガリンですよね。
バターは脂肪分が多いことから冠状動脈性心疾患を引き起こす可能性が高いとされています。マーガリンができてから(1800年ごろらしい)は、植物性のマーガリンが冠状動脈性心疾患を予防するとされ、バターの代わりに幅広く促進されてきました。
しかしその後マーガリンに含まれているトランス脂肪酸が実は冠状動脈性心疾患に悪影響を及ぼすことが判明。食品会社はすぐに対応して今のマーガリンには含まれていないそうだが、その代わりに別の有害な化学物質を使用している可能性があるため、現在はバターを摂取するほうが良いだという解釈になりつつある*1。
これをパラドックスの定義に当てはめてみると、
1)正しそうに見える前提→ バターは脂肪が多いので冠状動脈性心疾患を引き起こす可能性が高い。
2)妥当に見える推論→ マーガリンは植物性である(すなわちたっぷりの動物性脂肪を含まない)ため冠状動脈性心疾患を予防する。だからバターよりマーガリンのほうが健康的だ!
3)受け入れがたい結論→ 実はマーガリンに含まれるトランス脂肪酸も(あるいは、「のほうが」)冠状動脈性心疾患に悪影響を及ぼすと研究結果がでた。オーなんてことだ!
この状態がマーガリンパラドックスと呼んでいいのしょうか。初めてパラドックスという言葉をつかえました!あってる??これでいいの??
また未来になって、いや、実はバターに別の物質が含まれていることがわかって・・・とかいってバターパラドックスが生まれる可能性も非常に高い。
ん?それともこれは冠状動脈性心疾患パラドックスというべきなのか?
どれが適切なの??
では次
・「食のジレンマ」について考えてみます。食のジレンマはきっとベジタリアンやビーガンを経験した人、または現在進行形の人は必ずといっていいほど体験しているはず。
例えば私が肉を食べるのをやめたきっかけは、動物を食べるという現実を目の当たりにしたことです(今までは見てみないふりをしていた)。そしてはっきりと認識してしまったあとはなかったことにできず、突然肉、魚を食べるのをやめました。
しかし最初の一週間は「肉食のジレンマ」に恐ろしいほど捕らわれた。肉料理を見るたびに私の身体は肉をおいしい、食べたいと認識し渇望しているけど、心が動物が置かれている現実を思い出して歯止めをかける。
つまり二者択一(食べるか食べないか)しかない状態なんだけれども、どっちに転んでも苦しい状況になるというわけです。
先に感情論の例を出してしまったけれども、実際は「食のジレンマ」の二者択一というと
1.人間を含む生物は食べ物を食べなければ生きていけない
2.あらゆる食べ物には捕食者にとって毒性を含む害になる物質が含まれている。(運が悪ければそのせいで死ぬ)
さあ、どうしよう?というほう近いのかもと思う。(まあこれを問えば食のジレンマは生か死かみたいなことになっちゃいそうだから私にはこれ以上手に負えない)
☆第三段階☆
では、食のパラドックスで「マーガリンパラドックス」または「冠状動脈性心疾患パラドックス」と表現した状態を今度は「マーガリンジレンマ」または「冠状動脈性心疾患ジレンマ」と表現した場合はどんな意味を持つのか?
「マーガリンジレンマ」のデメリットを2つ探してみよ。
1.マーガリンはトランス脂肪酸を含む
2.マーガリンを食べられないのはつらい
ああ、わかった。マーガリンが好きな人にとっては「マーガリンジレンマ」という表現が当てはまるわけだ。条件付きなんだこの例に限っては。つまりマーガリンパラドックスとマーガリンジレンマは似ているように見えて違う意味だ。
逆に食のジレンマはパラドックスに置き換えることができるか?「肉食のジレンマ」の例でいきましょう。
1.正しそうに見える前提→ 肉はおいしくて健康に良い(ほとんどの人間が食べる)
2.妥当に見える推論→ 肉は多くのタンパク質を含むため人間になくてはならないエネルギー源である
3.受け入れがたい結論→ 動物を大量飼育することへの苦痛虐待に加え、家畜がその環境で食べさせられているものべ、短期間で太らせるための薬も当然人体に影響をおよぼす。さらに動物性たんぱく質がなくてもエネルギー源は補給できる。
・・・こちらもいちおう肉食パラドックスとして結論づけることはできる。でも肉食ジレンマと比較してみると同じ主張では使えなかった。肉食ジレンマのほうが「家畜への虐待」に苦悩している意味だけど、肉食パラドックスにあてはめようとしたらそれができなかった。なぜならどうしても論理的にならざるを得ないからだ、とその過程で分かった。
☆結論☆
つまりジレンマは論理的でなくても使える。「私は(なんとなく)これが嫌でこれも嫌だ」というときでも十分使える。とても幅が広いのだ。
それに対して「パラドックス」のほうは前提も根拠も推理も結論もすべてに筋を通さなければならない。
似ていると思っていたが使い方は全く異なるのだと分かったのでした。言語って深い。追及するといくらでも深い闇に引きずり込まれそうなのでここでおわります。
なんでこんなこと突然考えたかというと、昨日この本が面白くてむさぼり読んだから。→ https://amzn.to/2NoxXv2
そして読んであまりに感銘を受けたのでレビューを書こうと思って気づいた。はて「食のパラドックス」って一体どういう意味なの?私、説明できない!と思って考え始めたらこうなった。
でもたまには御堅いことを考えるのも悪くない。