上海ユダヤ難民紀念館とその周辺【上海】


上海の北外灘、提籃橋駅のすぐそばにある上海ユダヤ難民紀念館と旧ユダヤ人街その周辺を見てきました。

上海とユダヤ人の歴史は意外にも19世紀半ばから始まっており、ロシアで暮らしていたユダヤ人が商売のためにやってきたのが最初だと言われています。

その後、ナチス政権(1933-1941)に迫害されたユダヤ人2~3万人が難民としてはるか遠くから上海に押し寄せてきて住み始めたのがこの旧ユダヤ人街だったそうです。

外観はヨーロッパ風、、というのか石庫門にも似ている気がしますが、このストリートはリトル・ウィーンと呼ばれているらしい。まさに東西融合というところでしょうか。

それにしてもなぜ上海だったのか?

上海は1937年8月の第二次上海事変から、日本軍によって占領されていました。そして日本軍はパスポートによる社会体制を整えていなかったので、上海港は、唯一ビザなしで訪れることができる場所だったのです。日本はこの提籃橋地域を「無国籍難民限定居住区」と定め、ユダヤ難民をここに強制的に居住させたため、ユダヤ人街ができたのです。

このちょうど裏側にあたるユダヤ人紀念館には、シナゴーグや当時の暮らしなどが再現された資料館になっています。

ヘブライ語の表記もあるシナゴーグの中。

ウィーンの中国領事館にいて、千人のオーストリア系ユダヤ人を救った何风山を讃えた銅像。

資料館の中には杉原千畝の写真もあったらしいが、私が行った時(2018年6月)にはありませんでした。資料館の中。上海人とユダヤ人の心あたたまる交流物語がたくさん記されている。

当時のユダヤ人の暮らしが再現された部屋。なかなか豪華。こんな部屋に暮らしてたんはほんの一部やろうな。。。

歴史を時系列で展示してある部屋。

外壁には、3万人のすべてのユダヤ人の名前が刻まれています。

上海ユダヤ難民記念館を訪れた国の国旗。ドイツはあるけど日本はありません。

ユダヤ難民紀念館から旧ユダヤ人街を抜けると、その裏側に霍山公園があります。分かりやすい大きな入り口。写真では見えにくいですが、目立つ赤い文字には「法治宣传主题公园」と書いてあります。つまり中国共産党の宣伝で、公園の中にも数々の看板があり、共産党の美しい教えみたいなものが書かれています。

霍山公園にはヘブライ語の石碑が立っていました。「第二次世界大戦期間ユダヤ人難民居住区」という題名とのほかに、簡単な解説が添えてあります。


公園内では地元の年配の中国人があつまってカードゲームをしていました。賭け事なので力が入って大声が響いています。

今はどうかわかりませんが、この公園には「毒品禁止」の注意書きがあちこちにされてあり、過去には薬物中毒者や薬物売買のたまり場か何かになっていたのかな、という印象を受けました。上海ではたまーに、一つの箇所に大量の薬物禁止看板が掲げられている場所があります。この公園もその一つでした。アヘン戦争の名残りかもしれませんね。こういう看板。

近くには上海市提籃橋監獄もある。物騒な名前だけど優秀歴史建築らしい。立派な石庫門の門がまえです。もちろん監獄として機能しており、警備は厳重で、中には入れませんでした。ユダヤ難民記念館の周辺散策の地図に載ってるので、観光として見れるのかなと思っていたが、外観を楽しむだけだったらしい。

もうひとつ、周辺散策の地図で紹介されているのがこの「白马咖啡馆」。
ここは、ドイツベルリンでカフェを経営していたユダヤ人一家が、上海に逃れてきた後に故郷の懐かしい味を再現しようと始めたものらしい。見た目も欧風ですね。

「白马咖啡馆」の正面にある母と子の銅像。道路の向こう側に見えるのはユダヤ難民紀念館の正面入り口。
旧ユダヤ租界のあったこの地区の建物は統一感があるため、地図を参考にしなくても周辺を歩くと「ここにユダヤの人々が住んでいたんだな」とひとめで分かるほど建物に特徴がありました。

少し歩くと北外灘からの眺めも楽しめます。

歴史を感じながらゆっくり散策したり、博物館で学んだりする旅も素晴らしいなあと思うのです。私はここを見るまでユダヤ人と上海のつながりなんて全く接点がないように思っていたし、なんにも知らなかったから。

上海生活まとめ【2018】