es gibtの難しさ:(どこに)ある・いる【ドイツ語メモ11】
ドイツ語のes gibtって日本語で簡単に訳すと「~がある」とか「~がいる」だから、とても使いやすいと思います♪
日常で使うことも聞くこともとても多いですよね。
Es gibt viele Restaurants in dieser Stadt.
Es gibt genug Zeit.
Es gibt heute ein Konzert.
Es gab ein Erdbeben.
Es gibt keine Lösungen.
Es gibt viele Chancen…..
とても使い勝手がいいです。
大部分は日本語の「ある」で直訳できて便利なのですが、「ある」の中も一番使うと言ってもいい「(どこに)ある・いる」という表現、つまり場所にある・ないだけはとても難しい。
だから私はドイツ語に触れてから12年間、日常でしょっちゅうes gibt使っていながら解説はできなかったです。何度か解説しようとはしたんですけどね・・・
es gibtが日本語の「(場所に)ある」に直訳できない場面がある、ということはずっと知っていました。
es gibtの「ある・いる」は「存在する」という意味の「いる・ある」なことも知っていました。
でも正しく使えてなかったということは十分に落とし込めてなかったし、言葉でも説明できなかったのです。
でも今やっと、ブログや動画を撮り始めてドイツ語を教え始めてから5年後にes gibtの感覚たるものがかなり正確に掴めている気がします。
感覚的、というのはこの時は使えてこの時は使えない、という直観的な判断ができるようになった。そうするともう間違えることはありません。
そもそも最初にさ
「あれ?es gibtの理解、間違ってる私?」と思ったのはドイツの大学に行っている時でした。ドイツに来て3、4年ぐらい?
それまでは私、自信満々に「あるいる」の直訳でes gibtを多用していました。
簡単だと思って使ってたから衝撃でよく覚えています。
それは夏休みで、友達の実家にずっとにいて庭に出ようと思った時。
いつもあった庭用のスリッパがいつもの位置になかったんです。
それで私は大声で
× Es gibt meine Hausschuhe nicht!
=私のスリッパがない!
と言いました。
そしたら友達が「es gibtの使い方、時々間違ってるよ。」って。
それでさっきのはes gibtは変だよって言って
〇 Meine Hausschuhe sind weg.
〇 Meine Hausschuhe sind nicht da.
〇 Ich finde meine Hausschuhe nicht.
=私のスリッパがない(見つからない)
のどれかだと訂正してくれました。
でも私はその時
〇 Im Garten gibt es meine Hausschuhe.
=庭に私のスリッパがある
という表現は正しいことを知っていたので、なぜ否定形なだけで同じ文なのにさっきのシチュエーションではだめなのかが分からなかったんです。
でもその時にいた2人のネイティブの友達が2人ともそういったので、自分が間違っているのは明らか。
さらに説明を要求すると、彼らは前にあった本棚の本を指指して、
×Da gibt es viele Bücher.
=ここに本がいっぱいある。
は間違い。
〇Da sind/stehen viele Bücher.
=ここに本がある。
が正しいと説明してくれたのです。
私は大混乱。
でもDa gibt es viele Bücher.が言える時も確かにある。いつやったらよくていつやったらあかんの?
と思ってさらにバトルしました。
結局は「目の前にあるものを指して言うときはes gibtを使えない時があるのだ」ぐらいは分かった。
まぁでも目の前に本は存在してるし、Da gibt es viele Bücher.にはまだ違和感を感じる感覚を持っていませんでした。
とにかく「目の前にあるものを指していうとき」はseinを使うのが一般的で、seinを「(主語)は(述語)である」だけではなく「(主語)は(場所)にある・いる」のほうもちゃんと理解して使わなければならないんだということを知りました。
それを解説したのが初級用のこの記事と動画。
↑これを理解し、es gibtを勉強すると私みたいに12年もかからずに理解でき、間違えずに使えるんじゃないか、というのがこの記事・動画です。
とはいえ、みなさん知識では十分理解できてる思うんですよ。sein(本動詞として)の使い方。
でも実際に実践で出てくるかというとそれはまた別。
「私は~にいる」というときはほとんどの人は問題なくseinが出てきます。でも「モノが~にある」の表現にseinが出てこない人が多い。
知識を実践に結びつけるには一段階上の理解が必要なことも多いです。
☆☆
話を戻しますと。スリッパの話に戻します。
× Es gibt meine Hausschuhe nicht!
=私のスリッパがない!
これがなんであかんかったんやって話。
今は完全に理解できます。そりゃおかしいわ。
そもそも
× Es gibt keine Hausschuhe.
だけだと単に「スリッパがない」ではなく、「スリッパが存在していない」という意味になるからです。
この世に存在してないのか、この家に存在していないのかは上の文は書いてないけど。
〇 Es gibt in der Wohnung keine Hausschuhe.
これならこの家にスリッパが存在してない(つまり一つも置いていない)という意味になります。
存在していないのにmeine Hausschue(私のスリッパ)と言ってしまうと、存在してないのに「私の」スリッパがあることになってしまいます。
そんな変な文はない。
実際に私のスリッパはあの家にありました。だから
× Es gibt meine Hausschuhe nicht!
=私のスリッパがない!
とあの状況で言ったのはおかしいわけ。友達はそれを指摘したわけ。あるよ、スリッパ!と。
私はこの文を「いつもここにある私のスリッパが今だけない」という意味で言った。
そしてその時にes gibtは意味が正しくないのです。
es gibtは存在しているか、していないかを言う表現だから。
「いつもあるが今だけない」時はseinを使うわけ。
そして
〇 Im Garten gibt es meine Hausschuhe.
が正しいのは、庭に私のスリッパがあるという意味だから。私のスリッパは存在してる。
ただ、これを言っているシチュエーションは目の前にスリッパがあるのではなく、一般的な言い方。「スリッパが庭にあったな」と想像して言っている感じです。
逆に架空の存在。たとえばフランケンシュタインは映画の世界にしか存在しません。
ディープステートもそれを信じている人の頭にしか存在しません。現実世界には影も形もありません。
そういうものに対しては
〇 Es gibt keinen Frankenstein.
フランケンシュタインはいない(存在しない)。
× Es gibt keinen Deep State.
ディープステートはない(存在しない)。
と言います。
×Frankenstein ist nicht da.
と言ってしまうと、フランケンシュタインは存在するけど今目の前にはいないという意味になってしまいます。さっきのスリッパと同じ。
逆にディズニーランドのように実際に存在するものに対しては
×Es gibt keinen Disneyland.
とは言えません。
しかし
〇In Osaka gibt es keinen Disneyland.
は言えますよ。だって大阪にディズニーランドは存在しないから。
だいたい分かりますか?
このような解釈を踏まえたes gibt vs. seinの記事も書きますので、例文をたくさん見て感覚的に理解してください。
両方が使えるような例もあり、es gibtとseinはっきりした境界線はないことも多いです。
しかし、スリッパやフランケンシュタインのようにはっきりしたものもあります。
このes gibtの場合は、「何が正しいか」ではなく「何が正しくないか」のほう、つまり正しくない例文のほうを勉強するのが効果的です。
まぁ、どの単語や表現も正しくないものがどれだけ言えるかが、あなたがどれだけドイツ語を理解しているかにつながると思いますが。
12年なんて言語にとってはまだまだ浅いってことでしょうか。。。
一緒に頑張りましょう。。。
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