キールン(基隆)と近くの三大観光名所【台湾】


台北市から電車で北東に1時間ほど上がったところにあるキールン(基隆)市。台北から身軽に、しかも日帰りでも行けてしまうことから観光客にも人気があります。

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キールンは夜市が有名です。ちょっと他の夜市と雰囲気が違い、独特。しかし私が行った時は夜通し提灯の灯りが消えていたのでしょぼく見えて残念だった。週末は点くのかもしれません。

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これは朝のキールン夜市の様子。夜市というか朝からもちゃんとやってたのがびっくり。ちあみにここはサンドイッチが13年前も人気でした。めっちゃカロリー高いサンドイッチですがいつも行列なのですぐわかります。たぶん想像だにしていなかった味だと思いますよ!

 

ちなみにキールンという呼び名は中国語ではなく(キーという発音は中国語にはないですね)台湾先住民のケタガラン族の呼び名がなまった上にその漢字を台湾語で発音した”鷄籠=ケーラン”から派生したらしい。後の1875年に清朝政府が台湾行政機構をここに置いたことから基地になった」という意味を込めて、ケーランと近い音で「キールン」に改名したんだそうです。

ああ、なるほど。要は基隆の台湾語の発音がキールンなのですね。台湾語には「キー」という発音あるもんね。ちなみに鷄籠基隆は中国語では発音も声調も全く同じです。考えてますねー。基隆という漢字のほうが都市っぽい名前ですね。当時の人もそう思ったんだろうか。

台北から行きやすいとのことでこの町も観光客に楽しんでもらおうと力を入れているようで、こんな可愛い日本語のパンフレットも!

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パンフレットが訳されている言語でどの国の観光客が多いのか一目瞭然!(日本語、中国語、英語、韓国語があったよ)

もともと海の近くで漁港が盛んな街でしたが、1900年前後の日本統治時代からはハイテク技術が取り入れられて発展し近代港湾として成長。その結果、経済的な需要が高まって繁栄したのです。

和平島公園には日本人と当時の原住民が力を合わせて漁港を反映させたとの慰霊碑まであります。

”琉球漁民慰霊碑”。

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日本から贈られたものだそうです。2011年。

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台湾は以前、日本に統治されていたにもかかわらず親日の人が多いという不思議な現象がありますが、その背景には優秀な人材を送り、台湾の近代化を色々なところから手がけた日本の功績が評価されているからなのですね。

しかし台湾人のこんな言葉もあります。

”狗走了,豬來了(犬が去って豚が来た)”

日本が台湾から撤退したのを犬が去ったと例え、そのあとに中国から来た蒋介石率いる国民党を豚が来たと例えています。

犬はまだ番犬になってましだが豚はむさぼるだけで役に立たないという比喩です。決して日本をよく見ているばかりではなく、どっちも出て行ってほしいという意図が読み取れます。

それを頭にいれつつもキールンの漁民にとって日本人との交流は心地の良かったものだったようで、このようなポジティブな慰霊碑を見るのはとても嬉しいですね。

そんな魅力にあふれたキールンを、日本人の台湾人気ナンバーワン観光地も含めたわたしが選ぶ三大観光名所をシリーズでお届けします。

九份の穴場スポット

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 なかなかの圧巻で面白い場所ばかりです。