太宰治「人間失格」中国語の3つの翻訳を比べてみた【冒頭】


中国さまざまな翻訳家が訳す日本語→中国語の文を比べてみました。3つの中国人翻訳者が同じ日本語の文を翻訳しています。1つは自称翻訳者のもの、あとの2つはプロの翻訳家、つまり本になって発売されているものです。どんな訳し方になっているのか見てみましょう。

太宰治「人間失格」の中から第一の手記の有名な冒頭。

日本語文

 恥の多い生涯を送って来ました。
 自分には、人間の生活というものが、見当つかないのです。自分は東北の田舎に生れましたので、汽車をはじめて見たのは、よほど大きくなってからでした。自分は停車場のブリッジを、上って、降りて、そうしてそれが線路をまたぎ越えるために造られたものだという事には全然気づかず、ただそれは停車場の構内を外国の遊戯場みたいに、複雑に楽しく、ハイカラにするためにのみ、設備せられてあるものだとばかり思っていました。しかも、かなり永い間そう思っていたのです。ブリッジの上ったり降りたりは、自分にはむしろ、ずいぶん垢抜あかぬけのした遊戯で、それは鉄道のサーヴィスの中でも、最も気のきいたサーヴィスの一つだと思っていたのですが、のちにそれはただ旅客が線路をまたぎ越えるための頗る実利的な階段に過ぎないのを発見して、にわかに興が覚めました。

 

中国語訳


1. 回首过去,我的生活是很丢脸的。
     我对自己的人生是看不见希望的。我出生在东北的农村,第一次看见火车已经是很大了。我陶醉于在停车场的天桥上,上来下去的。完全不知道这是为了穿越铁路而建造的。而且认为这个停车场的构造就像外国的游戏场一样,有着复杂欢快新潮的设备。而且永远都是这个样子的。在天桥上上来下去,对我来说,是特别新潮的游戏。这是我对铁道服务中,最满意的一项。而很长时间之后,我才发现原来是为了更加快捷的穿越铁路,顿时觉得很无趣。1

 

2.回首前尘,尽是可耻的过住。
    对我而言,人类的生活无从捉摸。我出生于东北的乡间,所以一直到年纪稍大后,才初次见识火车。我在火车站的天桥爬上爬下,完全没察觉这是为了工人跨越铁路所建造,满心以为这是为了能让车站像国外的游乐场一样有趣新潮,而特别打造的设施。而且有很长一段时间,我都如此深信不疑。对我来说,在天桥里上上下下,是一项特别的游戏,而且它算是铁路公司设最周到的服务之一。日后我发现那不过是实用性的阶梯,纯粹旅客跨越铁路只用,登时大感扫兴。2

 

3.我过的是一种充满耻辱的生活。
 对于我来说,所谓人的生活是难以捉摸的。因为我出生在东北的乡下,所以初次见到火车,还是在长大了以后的事情。我在火车站的天桥上爬上爬下,完全没有察觉到天桥的架设乃是便于人们跨越铁轨,相反认为,其复杂的结构,仅仅是为了把车站建成像外国的游乐场那样又过瘾又时髦的设施。很长一段时间我都一直这么想。沿着天桥上上下下,这在我看来,毋宁说是一种超凡脱俗的俏皮游戏,甚至我认为,它是铁路的种种服务中最善解人意的一种。尔后,当我发现它不过是为了方便乘客跨越铁轨而架设的极其实用性的阶梯时,不由得大为扫兴。3

 
まず最初におどろくのは日本語の文の長いこと長いこと。すべての中国語翻訳はだいたい日本語の4分の3程度の長さで訳しています。やはり声調がある分、中国語は一般的に短く表現できる構造になっているのですね。便利だ中国語。

1番目の翻訳は素人のため、太宰治の文の意図が異なる部分が多くみられます。

例えば「自分には、人間の生活というものが、見当がつかないのです」という文を「我对自己的人生是看不见希望的」と訳しています。この文だと「自分の人生に希望が見いだせない」という意味になってしまい、完全に太宰治の書いた意図とは異なっています。

きっと日本語勉強中の中国人なのかな。太宰治を理解するのはとても難しい作業だと思います。なのでここからは2番目と3番目の翻訳から学びたいと思います。

おもな単語

・无从捉摸(Wúcóng zhuōmō)/难以捉摸(Nányǐ zhuōmō)=予測不能、見当がつかない

・如此深信不疑=そう信じて疑わない

・跨越铁轨(Kuàyuè tiěguǐ)=線路をまたいで超える

・最周到的服务=最も気が利いたサービス

・扫兴(Sǎoxìng)=失望する

・超凡脱俗(Chāofán tuōsú)=あか抜けた、特別な

・俏皮(Qiàopí)=遊び心

・俏皮游戏(Qiàopí yóuxì)=遊び心のある遊戯

 

異なる翻訳の仕方

この中で最も長い太宰治の文をどう訳しているのか一つずつ見てみましょう。

・自分は停車場のブリッジを、上って、降りて、そうしてそれが線路をまたぎ越えるために造られたものだという事には全然気づかず、ただそれは停車場の構内を外国の遊戯場みたいに、複雑に楽しく、ハイカラにするためにのみ、設備せられてあるものだとばかり思っていました。

2番目の翻訳:我在火车站的天桥爬上爬下,完全没察觉这是为了工人跨越铁路所建造,满心以为这是为了能让车站像国外的游乐场一样有趣新潮,而特别打造的设施。

3番目の翻訳:我在火车站的天桥上爬上爬下,完全没有察觉到天桥的架设乃是便于人们跨越铁轨,相反认为,其复杂的结构,仅仅是为了把车站建成像外国的游乐场那样又过瘾又时髦的设施。

2番目のほうがかなりコンパクトに、しかし意図を完璧にとらえて訳してあります。3番目のほうは長いが一単語も逃さず丁寧に訳してあります。たとえば2番目のほうには「複雑に(楽しく)」といった太宰の文は省略されていすが、3番目にはきっちりと「复杂的结构」と入っています。

また「ハイカラ」という単語を2番目は「新潮」と一単語でバチっと決めているのに対し、3番目は少しくだいて「又过瘾又时髦」と説明的に訳してあります。

でもどちらも素晴らしい翻訳ですよね。

もう一つの長い文。

・ブリッジの上ったり降りたりは、自分にはむしろ、ずいぶん垢抜あかぬけのした遊戯で、それは鉄道のサーヴィスの中でも、最も気のきいたサーヴィスの一つだと思っていたのですが、のちにそれはただ旅客が線路をまたぎ越えるための頗る実利的な階段に過ぎないのを発見して、にわかに興が覚めました。

2番目:对我来说,在天桥里上上下下,是一项特别的游戏,而且它算是铁路公司设最周到的服务之一。日后我发现那不过是实用性的阶梯,纯粹旅客跨越铁路只用,登时大感扫兴。

3番目:沿着天桥上上下下,这在我看来,毋宁说是一种超凡脱俗的俏皮游戏,甚至我认为,它是铁路的种种服务中最善解人意的一种。尔后,当我发现它不过是为了方便乘客跨越铁轨而架设的极其实用性的阶梯时,不由得大为扫兴。

こちらも2番目の文のほうが相当コンパクト。日本語は一文でまとまっていますが、中国語訳はどちらも同じ場所で2文に分けられています。

1.ブリッジの上ったり降りたりは、自分にはむしろ、ずいぶん垢抜あかぬけのした遊戯で、それは鉄道のサーヴィスの中でも、最も気のきいたサーヴィスの一つだと思っていた。

2.のちにそれはただ旅客が線路をまたぎ越えるための頗る実利的な階段に過ぎないのを発見して、にわかに興が覚めました。

という具合に。

二つの文の大きな違いは単語の長さ。
・「垢抜けのした遊戯」=「特别的游戏」「超凡脱俗的俏皮游戏」
・「最も気の利いたサーヴィス」=「最周到的服务之一」「服务中最善解人意的一种」

また、最後の「ただ旅客が線路をまたぎ越えるための頗る実利的な階段に過ぎないのを発見して」の部分で2番目の訳は「那只不过(ただ~に過ぎない)」という文法を使っているのに対し、3番目は「不过是为了~而」というやや長い文法を使っています。

どちらもとても分かりやすいですが、個人的には2番目のコンパクトな文のほうが好きかな。分かりやすくて。3番目のほうが文法も少し複雑なものを使っていて長いので。たとえば「毋宁」とか。

また人間失格の中で気に入ってる文を2つの翻訳から比較してみようと思います。

  1. 人间失格~中文翻译
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