マルチリンガルとは?マルチリンガルになるための第一歩


単民族国家、そしてモノリンガル国家である日本では、まだまだ珍しい存在のマルチリンガル。しかしグローバル化が進む現代社会では、世界的にみるとマルチリンガルの存在はもはや普遍的です。

日本でも2018年、外国人労働者の受け入れの拡大を決定し、多言語の流入が必然的です。そのコミュニケーションツールとして外国人労働者の日本語習得だけでなく、日本人の英語能力やその他外国語学習の重要性はさらに増してきます。

これから日本を含むアジアでも、また世界中でどんどん増えていくであろうマルチリンガル=多言語話者。

そもそもマルチリンガルとは一体何なのか?定義は?そしてその問題点は?マルチリンガルとはいったいどのような人たちなのか?誰でもなれるのか?少しずつひも解いていきましょう。


1.マルチリンガル、または多言語話者とは?

多言語とは複数の言語がそのなかに並存していること。です。複数の公用語が存在する国を多言語国家、そして複数の言語を操れる人を多言語話者と呼びます。

多言語話者とは一般的に、二種類以上の言語を使える人のことを指します。二言語話者はバイリンガル、三言語話者をトリリンガル、それ以上をマルチリンガルという名称で呼ぶことが多いです。

さらにその中で、多言語での会話、おもに話すことに特化した人たちはポリグロット(ポリ=多い、グロット=舌)というラテン語が語源の名称がついています。

しかしマルチリンガルとポリグロットの線引きは非常に曖昧です。どちらも「話しことば」に特化しているからです。非常に似た表現です。

ポリグロットと名乗る人、は主に「発音」や「流暢さ」などに重きを置いて言語習得をした人であるイメージを個人的には持っています。しかし実際には、どちらを使っても、特に意味に大きな違いはないと感じます。

 

つまり多言語話者とは、バイリンガル、トリリンガル、マルチリンガル、ポリグロットの総称のことです。

しかしここで、一つの疑問がわいてきます。

なぜ多言語話者なのか?言葉には「話しことば」と「書きことば」があります。多言語話者というのは文字通り、「話しことば」に特化している人たちです。

それでは、多言語の読み書きに特化している人の呼び方はなぜないのか?一流の研究者はネイティブ以上のレベルで多言語を読むことができたりします。彼らはマルチリンガルなのか?

その答えは私にもわかりません。しかしこう考えることはできます。

「文字がない言語はあるけれど、音のない言語はない」

このまぎれもない事実から、言語の基本は文字ではなく、音であると認識することができます。人間が認知革命で言葉を習得したときも、文字ではなく音からでした。

とはいえ、どの程度のレベルになったら多言語話者、またはマルチリンガルということができるんでしょうか?単純に学んだことのある言語?

私が学んだことのある言語は2018年現在、母国語が日本語、第二外国語がドイツ語、第三外国語が中国語です。さらには第四~第六か国語としてアラビア語、韓国語、インドネシア語まで。

なのでトリリンガル、またはマルチリンガルと主張しても・・・・・いいのか!?


2.マルチリンガルの問題点

話しことばが書きことばより、重視されているのはなんとなくわかりました。

・・・が!マルチリンガルっていったい各言語をどの程度話せたり書けたり、また運用できたらそう主張できるのだろう?

各専門分野の通訳・翻訳レベル?日常の通訳レベル?大学でプレゼンができるレベル?日常会話レベル?旅行会話レベル?それとも文字が読めるだけのレベル?

さらに、マルチリンガルにもいろいろなパターンとレベルがあります。

新聞は読めてニュースも聞けるけど、会話ができない人はどうなの?
論文は書けるけど、旅行会話がほとんど聞けない人は?
逆に会話はネイティブだけど文字が書けず、また読めない人は?

私は長年、この厄介な“どのレベルでマルチリンガルか”問題に対して明確な答えを持っていません。不思議なことに私は一体何か国語話者なのか、またどのように自分の言語能力を提示すべきなのか自分でも分からないのです。

“一体アンタ、何か国語しゃべれるん!?”という無邪気で普遍的な質問に、どう答えていいのかわからない。

なぜなら大きな問題点が2つ。

1.「マルチリンガルの能力レベル」に明確な線引きがないこと。いわば自称マルチリンガルには誰でもなれるということ。

2.それぞれの言語のレベルは一人一人が千差万別であるということ。一人として同じ言語レベルの人はいないこと。だから1の問題点と同じで、言語レベルの線引きがそもそも不可能。

実際「〇か国語を短期間で習得する方法!」といった本やメソッドが大量に出回っているのは、著者がそれぞれ習得した自身の言語レベルを証明する必要がないからです。

「私は〇か国語を話せます!」と自己申告するだけで成り立つマルチリンガル。でもウソは言ってない。詐欺ではない。だって基準がないのだから。そこを利用した商売が成り立つのです。

しかしそれでは自称マルチリンガルを図々しく豪語し、サイトまで作っちゃった私としてはあまりにも無責任だと思うので、個人的にですが多言語話者の言語レベルについて少し考え、私なりに無理矢理定義してみたいと思います。


3.マルチリンガルの言語レベルはどれぐらいなのか?またはどの程度であるべきか?

少し別の角度から考えてみましょう。

マルチリンガルの前に二言語話者=バイリンガルと聞くと、私たちはどんな印象を持つでしょうか?

私たちは義務教育の過程で、英語を数年間学びます。中には英検やTOEC,TOEFLを受けて高得点を持つ学生もたくさんいます。東大や京大といったトップの大学に行く学生の英語レベルは相当高く、また実用的でもあります。

しかしこの学生たちは自分のことを「私/僕、バイリンガルなんです」と表現するでしょうか?

なんとなくしっくりきません。

「バイリンガルです」と聞くと、あぁ~2つの母国語を持っているんだな、と感じるほうが大きい気がします。

国際結婚をした両親を持つ子供や帰国子女かな、といった印象を受けます。

バイリンガル=2か国語のネイティブスピーカー

と、一般的に日本では解釈されている気がします。
辞書で「バイリンガル」で調べてみると

・状況に応じて二つの言語を自由に使う能力があること、またはその人。(大辞林)

・2つの言語で話せる能力を持つ人を意味する語。(実用日本語表現辞典)

 

 はっきりネイティブ並みなどとは書かれていませんが「自由に使う能力」という記述は日常会話程度のレベルなどでないことは明らかです。

その延長でマルチリンガルを考えてみると、マルチリンガルも日常会話ができる程度では「自由に使う能力」には足りないと感じます。ちなみに「マルチリンガル」で調べても先ほどの「二」が「三以上」に変わるだけで同じことが書かれてありました。

つまり、厳しく定義すればネイティブ、またそれに近いレベルで三つ以上の言語を使えるのがマルチリンガルだと言うことができそうです。

私に当てはめてみると、私が(自己判断ですが)自由に使える!とまぁまぁ主張できる外国語は2つだけです。ドイツ語と中国語。他の言語はまだまだ自由とはいえず、発展途中です。

しかしマルチリンガルの場合、日本ではかなりマイノリティーなので、バイリンガルより甘い響きがすることも事実です。日常会話、または旅行会話程度であってもマルチリンガルです、〇か国語話者です、と主張しても不思議ではない雰囲気はあります。

本人の自己判断はともかく、受け取る側が、この人はどのレベルのマルチリンガルなのか?また彼らから何かを学ぼうと考えている場合、この人のレベルにお金を払う価値があるか否か?などとしっかり分析する必要性を感じます。

(1日だけ訪れた美しいザルツブルクの街。オーストリアのドイツ語はドイツとは違ったアクセントがあった)

※私の多言語レベルはのちに音声やビデオなどで公開します。


4.マルチリンガルの種類

私はマルチリンガルの人々を、その学んだ環境によって勝手に2種類に分けています。

1.ネイティブのマルチリンガル:幼少期から複数の言語を使う環境で育った人。

2.非ネイティブのマルチリンガル:成人後、または自分の意志で第二外国語、第三外国語・・と留学や学習を通してコツコツと実績を積み上げた人。

 

両者は同じマルチリンガルといえど、ずいぶん異なる印象があります。前者は受動的で自然なマルチリンガル、後者は語学に対する思い入れや憧れが強く、努力型のマルチリンガルという感じ。

私は完全に後者の非ネイティブの多言語話者ですが、私の友人の大部分はネイティブのマルチリンガルです。多言語は空気のように当たり前で、意識もしない、そんな感じです。

私は長年、日常的にレベルの高い多言語が飛び交う環境に身を置いていました。
日本ではあまり体験することのない環境かもしれません。日本だけでなく、東アジア(韓国、中国など)でもほとんどありません。

しかしもっと視野を広げると、後者の非ネイティブマルチリンガルより、前者のネイティブ・マルチリンガルの方が圧倒的に多いのです。

ヨーロッパなどでは逆に、母国語しか話せない人(モノリンガル)を見つける方が難しく、特に若者のモノリンガルは天然記念物に近い存在だったりします。

環境の差なので、日本人の大半がモノリンガルであることに恥じる必要は決してありませんが、この事実を知っておくことは非常に重要です。

マルチリンガルは普遍的であり、なんら特別な現象ではないのです。

ネイティブのマルチリンガルには主に、スイスなどの多言語国家に住む人々や、移民そしてその子孫などが代表的です。

一つ例を挙げてみますと、私が長年住んでいるドイツには、たくさんの中華系ドイツ人がいます。移民ですね。外見はアジア人ですがドイツ国籍を持つ人たちです。

彼らは幼少期から家で中国語(さらに広東語などの方言)、外でドイツ語を使う環境で育ち、そのうちに息を吸うのと同じように英語を習得し、成人する前には立派なトリリンガルになっています。彼らの言語能力は非常に高く、まさに状況に応じで自由に使える辞書の基準そのもの。会話だけでなく、読み書きも堪能であることが多かったです。

長年、膨大な時間をかけて多言語をコツコツ学んだ私としては、彼らのその環境には軽く嫉妬を覚えるほどです。そのぐらいネイティブのマルチリンガルは語学に堪能です。


5.多言語国家とは

 ネイティブのマルチリンガルの例として移民の二世三世をあげましたが、マルチリンガル国家=多言語国家とはいったい何でしょうか?

多言語国家とは複数の公用語を持つ国のことです。多言語国家の国といえばスイスが一番に出てくる人は多いのではないでしょうか。

スイスは公用語として4つの言語(ドイツ語、フランス語、イタリア語、ロマンシュ語)が定められています。

しかしこれは、国民のすべてが4か国語のマルチリンガルという意味ではありません。地域によって使われる言葉が分かれているだけです。このように。

(黄:ドイツ語 紫:フランス語 緑:イタリア語 赤:ロマンシュ語)
スイスでは国会が開かれる時は、議員がヘッドホンを付けているのが印象的です。地域によって分かれているといえど、複数の言語能力を持つスイス人は非常に多いでしょう。

 私が住んだことのあるマレーシアも多言語国家でした。公用語はマレー語、中国語、英語。しかし同じ多言語国家といえど、スイスとは完全に環境が異なります。地域によって使う言語が分かれているのではなく、民族で分かれているからです。そのため、日常的に多言語が飛び交っています。

マレー系の人はマレー語を使い、中華系の人は中国語を主に使っています。学校もそれぞれ分かれており、マレー系の学校(授業はマレー語)や中華系の学校(授業は中国語)が同じ都市に入り混じっています。

しかし全体的にはマレー語が優先されており、マレー系の人は中国語を話さないけれども、中華系やインド系といった人々は基本的にマレー語も話すといった感じでした。

さらにインド系やバンカリ系、出稼ぎ労働者のインドネシア人やバングラデシュ人がそこらへんにいたりするので、マレーシアは環境的にもマルチリンガル率が高い国ですね。

多言語国家は意外とたくさん存在します。こちらが主なリストです(方言は除きます)

ヨーロッパ:スイス、ベルギー、アイルランド、フィンランド、ボスニア、ベラルーシ、スペイン

アジア:スリランカ、フィリピン、シンガポール、アフガニスタン、カザフスタン、

北米:カナダ

中南米:ハイチ・ペルー・ボリビア・パラグアイ

アフリカ:南アフリカ、ケニア、カメルーン

オセアニア:ニュージーランド、フィジー、パプアニューギニア

 これらの国はあくまで「公用語」として2つ以上の言語を持つ国です。以前植民地化された国や移民の流入などで多言語になった国が多い印象ですね。

逆にアメリカやドイツ、フランス、ロシア、日本など影響力の強かった国は今もモノリンガル国家の傾向があります。

南アフリカ住在のマルチリンガル。日本語もあります。すごいレベル・・・!

www.youtube.com


6.マルチリンガルになるための第一歩

さて、日本を飛び出すとマルチリンガルはなんら普遍的だと理解したところで、モノリンガル国家で育った私たち。ネイティブ・マルチリンガルにはすでになれないとしても、非ネイティブ・マルチリンガルになるチャンスはいくらでもあります。

日本語モノリンガルの人の第二か国語の習得は、特に容易ではないと私は考えています。日本語の発音の容易さや単純さを考えると、どの外国語のリスニングと発音の習得にも、とても苦労しそうです。最初のとっかかりがとにかく苦しいのですね。

逆に外国人の日本語学習者は、日本語は最初はとても入りやすいけれど、進めば進むほど大変になる、という感想を持つ人がくさんいました。

しかし、どの語学習得にも近道はありません。

具体的な言語習得のアドバイスや体験などはまた後日書いていきますが、ここではまずマルチリンガルへの第一歩として、私が一番大事だと思うことをお伝えして終わりにします。

1.マルチリンガルは普遍的、なんならマジョリティであることを知る。

2.多言語習得そのものを目標にしないように気を付ける。

3.語学に対して謙虚であり続けること。語学学習は(も)満足したら終わり。

1はこの記事を全部読まれた方は、すでに理解していただけていると思います。これは非常に大事なことなので最後に再度、強調しています。

そして2つめ。マルチリンガルになるための第一歩と言っておきながら、マルチリンガルになることを目標にしてはいけない?なんか矛盾してない?なぜ?と思った人もいるのではないでしょうか。

なぜなら、多言語話者にとって言語とは道具のように使うものだからです。[1]

言語はコミュニケーションツールです。それ以上でもそれ以下でもありません。多言語が使えれば使えるほど、それを使って活動したり幅広い知識を得たりする選択肢が増える。目的達成ために母国語以外の言語を利用するのです。

「道具を完成させる」ためだけに道具を作る人なんていますか?完成させて「ああ、できた♪」と満足して飾っておくのでしょうか?

道具を作る時には必ず、使う目的がある。例えば畑を耕すために農具を使う。語学はモノのように完成してしまえば終わりとは違いますが、コミュニケーションの道具として進化させながら使うことができます。

「マルチリンガルになる」目標のみを持つ人は、マルチリンガルになった自分を特別視したいだとか、多言語を話して注目を浴びたいとか、かっこいいなどといった単純なナルシズムが入っています。

1に戻りますが、マルチリンガルは現代世界では普遍的な現象なのだ!!

ということを覚えておくべきです。

しかし最初は多言語を習得した先に何があるのか、どんな世界が広がっているのか、想像できなかったりしますよね。最初はまず第一外国語を習得するんだ、そんな目標でもいいと思います。

しかしそれが最終目的にならないように。習得過程で「私は多言語を習得して一体何をしたいのか、何ができるのか」をゆっくりでいいから自問し続けることです。それだけで全然違う結果が見えてきます。

2,3か国語を習得できてナルシズムに陥りそうなときは

「世界でマルチリンガルはマジョリティーなのだ!!」を思い出して謙虚であり続けることをお勧めします。私もこれだけ気を付けていても時々、謙虚さを忘れてしまうので。

アドバイスらしく書いておきながら、実は自分に言い聞かせているのでした。

☆☆☆

*1:言語学者にとっては言語は道具では決してありません